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フルトヴェングラー ブルックナー交響曲の使用譜について
- ブルックナー 交響曲第4番 変ホ長調 ロマンティック 1951年10月22日 シュツッツガルト
- (日Grammophone MG8868/72)
解説書には<ハース版>と書かれているが宇野氏も指摘しているように、改訂版を使用している。クナッパーツブッシュの使用譜と似ているが部分的に異なる。
スケルッツオで、ブルックナーのスケルッツオは、通常スケルッツオ(A)トリオ(B)スケッルツオ(A)の3分形式であとの(A)は初めの繰り返しで同じもの。クナッパーツブッシュの改訂版は先の(A)の終りはトリオ(B)につなぐところでデミヌエンドする。ハースやノバークの版はフォルテで終わる。あとの(A)はかなりの省略があり最後はフォルテで終わる。このコーダもティンパニの扱い方が全然違う。フルトヴェングラーは後半の(A)の省略はしていない。オーケストレーションは改訂版のままだが、本来のA-B-Aの形にしている。正解だと思う。第4楽章はクナパーツブッシュの版は後半でかなり大幅なカットがあるがフルトヴェングラーもそのままカットしている。クナッパーツブッシュの版と同じ改訂版のところもあるが、ハース版を使っている部分もあり。けっこうややこしい。
放送局のライブ録音としては非常に良い。同じ時期にミュンヘンでの録音も残されているが、音質は大分落ちる。宇野氏も書いているがフルトヴェングラーの演奏スタイルはブルックナーに合わないのではないかと書かれているが、ぼくも合わないと思う。しかし、それなりに面白いことは確かだ。この演奏は良いと思う。違和感もほとんどなくきける。アダージオなどのテンポが遅く静かな部分になると、独壇場だ。さすがと思わせる部分も多い。
- ブルックナー 交響曲第8番ハ短調の録音について、特に使用譜に関して。
- ブルックナーの8番の録音は以下の4つが残されている。
1944年10月17日 ウイーンフィル Musikvereinssaal, Wien
1949年3月14日 ベルリンフィル Gemeindehaus, Berlin-Dahlem
1949年3月15日 ベルリンフィル Titania Palast, Berlin
1954年4月10日 ウイーンフィル Musikvereinssaal, Wien
WFのブルックナー8番の54年の演奏について、WFは44年、49年のはハース版を使用している。54年のはクナッパーツブッシュと似た改訂版を使用しているためクナッパーツブッシュの演奏ではないかと疑問視されたことがあった。終楽章を聴くとが一番良くわかるが、クナッパーツブッシュのと同じ版だと思う。多分、ハースの版が準備出来なかったので仕方なくこの版を使ったのではないか。この版の1楽章の最後のクライマックスの詰めのところ、ホルンとトランペットのファンファーレはデミヌエンドするが、WFは指示を無視してfffで処理している。やむなく使った楽譜なのでこの処理は理解できるが、終楽章の冒頭のファンファーレが再現するところの前打音付きのティンパニの音は改訂版の指示通りそのまま鳴らしている。クナの演奏を聴くと改訂版のもっとも顕著な部分だ。1楽章の処理を考えると一貫性を欠きこのティンパニはカットすべきだと思う。演奏効果の魅力に負けたのでだろうか。さらに2楽章でスケルッツオートリオースケルッツオの三部形式のスケルッツオの部分の中間部分に入ったところ(70〜79小節、BREITKOPF & HAERTEL,Vorgelegt von Robert Haas)のVcはピチカートで弾いているが、これは改訂版の指示だと思うが、49年録音のもハース版を使用しながらピチカートで弾いている。WFがどうゆう判断をしたのかちょっと判りづらい。
ハース版には3楽章に特徴的な部分がある。最後のシンバルの入るクライマックスの少し前に小さなクライマックスがあるが、ここのところ、クレッシェンドしてクライマックスに入る直前に第一稿(1887年版)から11小節、音楽の流れを中断するようなエピソードが挟み込まれている(209〜219小節 )。改訂版はもちろんノバーク版にもない部分だ。音を聞くとこの方がブルックナーらしく聞こえる。しかし49年の録音はこれをカットしている。ノバーク版は49年時点では出版されてないのでこのカットはちょっと理解できない。改訂版の考え取った、クレッシェンドしてクライマックスに入るところで高揚感が中断されるのを嫌った…と考えられます。が、しかしハースに対する批判の現われではないかとも思えるのですが。
私はインバルの1887年第一稿の演奏を聴いてノバークのハース批判はあたっていると考える。
ノバーク版といわれる版はブルックナーが最終決定稿とした1890年版を基にしている。インバルの使った第一稿は1890年版とは別のものだ。ブルックナーは第一稿をもとにカットやオーケストレーションの変更して1890年版を作ったのではなく、第一稿を参考にしながら、作曲し直した、と考えるのが正しいと思う(曲の一部は改めて作曲している)。だから第一稿とは別の曲と考えるべきだと思う。確かに1890年版は第一稿の曲の流れに添ってはいる。その為カットされた部分もはっきりわかる。ハースはそのカットされた部分を1890年版に挟み込んだ。ブルックナーはそんな版は作っていない。というのがノバークの主張だ。これは正しいと思う。