戻る

ベートーベン交響曲 第9番 二短調 合唱 1951年バイロイト公演 バイエルン放送局録音とされるCDについて(ブログ記事を転載)、フルトヴェングラー・センター制作のLP盤の記事も追加。

 ベートーベンの第9のCDといえばフルトヴェングラーのバイロイト盤にとどめをさす。戦後、再開されたバイロイト音楽祭1951年の初日、7月29日の公演のライブ録音。もちろんモノラル録音だ。のちに録音のいいステレオ盤がたくさん発売されたが、レコード芸術などの評論家や読者を対象とした雑誌のアンケート調査でもいつもこれが1位になっていた。僕自身、録音のいいステレオ盤をいろいろ聞いていたが、このフルトヴェングラー盤に出会って第9の神髄に触れることができた。

 有名な録音だけにいろいろ憶測が言われてきた。詳しくはあとで述べるが、この録音は 英EMIによって録音された。レコード化を目的としていたかは、実際のところわからない。EMIはウイーンフィルやフィルハーモニアオーケストラを使ってスタジオ録音を始めていた。SP時代をのぞくと、レコード化を目的としたライブの録音は他には知らない。この年(1951年)カラヤン指揮のワーグナーの楽劇を録音するため、EMIは録音チームを送った。ついでにフルトヴェングラーの第9を録音してみようという話になったのだろうか。公演は29日1回だけだったらしいが、現地のラジオ局(バイエルン放送協会)も録音してラジオで放送されたらしい。それで放送局にEMIとは別の録音テープがあるのではないかといううわさが以前からあった。

 そのうわさされていたバイエルン放送局所蔵の録音テープが出てきて、2007年に日本フルトヴェングラーセンターがCD化し会員向けに頒布された。大げさかもしれないがファンにとっては衝撃的なニュースだった。

 案内されてきたCDは会費込で6000円した。あまり高すぎるため、聴きたかったが、買わなかった。そうしたらその年(2007年)の12月にORFEOから通常販売され入手できた。
(ORFEO C754081B)

 この録音の発掘は当然、かなりの話題になった。2007年9月号のレコード芸術に感想記事が寄せられている。フルトヴェングラーセンター会長中村政行、フルトヴェングラー研究家桧山浩介、そして音楽学者(評論家)金子建志の3人。まだORFEO盤は発売されていないので、センター盤を聴いてでの感想ということになる。

 いままでEMI盤で言われてきたのはゲネプロ(総練習)をメインに使用し、本番のテープも一部使用した、という説(テープを編集した跡がある)。ほぼこれは当たっていると思う。バイエルン放送局のテープ(以下B盤)は咳ばらいなどの聴衆のオーディエンスノイズがはっきり聞き取れる。部分的にEMI盤と同一と思われる個所もあるらしいが、あきらかに別録音という印象を受けた。

 中村、桧山両氏はB盤を29日の本番だと指摘。演奏の完成度もEMIより高いという意見を述べられているが、金子氏はまったく逆の意見だ。その根拠は、演奏の仕上がりの完成度はEMI盤の方が高くB盤は楽器のバランスやアンサンブルの点で最終し上がりの前の状態で完成度が低いと指摘している。金子氏の指摘はスコアを使用して詳細を極めている。ぼくはスコアは持っておらず、金子氏の指摘についての確認は出来ないが、B盤の演奏にEMIより完成度が低いという印象は持てなかった。金子氏の指摘で判るのは、終楽章のソロトロンボーンの箇所と、ピッコロ、トランペットが突出しているところ。ピッコロとトランペットの箇所は、マイクアレンジの差かもしれないが、仮に、EMI盤が本番として、フルトヴェングラーが修正した、という説は、十分考えられる。しかし、咳などの聴衆のノイズについては、オーケストラの楽員もしくはコーラスの団員が発したものではないか、という説は無理があると思う。第一楽章初めのあたりの咳はマイクに近く、オーケストラ団員というのはわかるが、マイクから遠い会場ノイズがあちこちに散見できるからだ。
 金子氏がB盤をゲネプロと指摘する根拠がほかにもある。第3楽章のまえにソリストが入場する足音が聞かれる個所のことだ。(ORFEO盤はここのところはカットされていてる。)本番ならソリストが入場すれば拍手がおこるはずと指摘している。これはたしかにそのとおりだと思うが、一方でゲネプロならソリストの入場は第4楽章のまえでいいのではないかとも思うが。B盤は第3楽章が終ってすぐ第4楽章が始まっているので、たとえゲネプロであっても本番と同様に演奏したい、というフルトヴェングラーの要望があったのではと、憶測もできる。

 EMI盤の憶測がいくつか明らかになった。第4楽章中間あたり、”vor Gott"と合唱がフォルテで歌い、声を長く伸ばす、有名な箇所があるが、最後、瞬間的に合唱、トランペットのレベル(音量)が上がる。これは、レコード制作時にわざとレベルを上げて、演出したのではないかという疑問だ。B盤はそのような音量の変化はない。したがって作られたものだと判った。さらに、その"vor Gott"のあと、長大なゲネラルパウゼ(総休止)がある。これが異常に長い。それも疑問がもたれた。しかしB盤も同様に長く、この点については特に元テープを触ってないということがわかった。

 僕自身、どうにもわからない点がある。それは最後のつめの箇所。フルトヴェングラーの第9の最後のところは、猛烈なクレッシェンドをかけて終わる。フルトヴェングラーの第9の録音はかなりあって、ほとんどCDで聴くことができ、この終結のところはどれもうまくいっているが、このEMI盤はオケが混乱して終わっている。まったく縦の線がそろっていない。誰が聴いてもこれはわかる。B盤はこの箇所がうまくいっていて問題ない。レコード化にあたってなぜB盤を採用しなかったのか。結局、新たな疑問が生じた。

 B盤はバイエルン放送局が録音した、言われている。関係者の証言もあるみたいだ。しかし、僕はこれはEMIが収録したものだと思う。理由はいろいろあるが、それまでバイロイトでのコンサートの録音の経験はなかったはずで、マイクのセッティングに手間がかかり、本番、ゲネプロの収録までにいろいろ試行錯誤(マイクテスト)しているはずで、別々にしているとは考えにくい。それと、マイクアレンジや音質は別、という意見があるが、ぼくが聴いた限りでは、「同じマイクアレンジ」だと思う。たしかに、先に書いたピッコロやトランペットのバランスの問題はあるが全体の音の印象はEMI盤と同じ、という印象だ。根拠はもう一つ。当時のラジオ放送局にこれだけバランスのいい録音が出来る技術は持ってなかったという点だ。フルトヴェングラーは1954年にもバイロイトで同じ第9を公演していて、この方は間違いなくバイエルン放送協会が録音したテープが残されている。それはCDで聴くことができる。かなりバランスの悪い録音で、はっきりいって鑑賞に耐えられるような代物でなく、3年後という技術の進歩も考えても、B盤がバイエルン放送局の技術で録音されたとは考えられない。ほかのケースを例に出してもいい、51年、52年、53年のウイーン、51年のザルツブルグ、54年のルツエルン、バイロイトなど、いずれも放送局の録音での第9が残されて聴くことができるが、いずれも録音のクオリティは51年のバイロイト盤には遠く及ばない。

 僕の解釈、ゲネプロと本番をEMIが収録した。おそらく、録音権でEMIとバイエルン放送協会とのあいだに争いがあったのではないかと思う。録音はEMIが収録し、本番かゲネプロのどちらかのテープをEMIがバイエルン側に提供する。放送は1回限りで、コピーテープを他の放送局に提供しない、という契約をしたのではないかと思う。コピーテープはスエーデンにあるらしいが、放送時に局が録音したのではないかと思う。今回のバイエルン放送協会で発見されたテープには、「たとえ部分的にでも、放送することは禁止」と書かれているという。一度放送した後で記述されたとおもわれ、EMIとの契約を意味しているのではないだろうか。

 1970年代後半から80年ころにかけて、放送局が所蔵していた音源からの流出と思われる、コンサートライブのレコードがチェトラ、BWS(ブルーノワルターソサエティ)、メロドラムといったレーベルから大量に発売された。フルトヴェングラーのライブもたくさん出てきた。それ以降も、放送局所蔵の録音テープの発掘が続けられて、散発的に発売されていた。それらのなかに、今回のバイロイトの録音テープは発売されなかった。つまり、バイエルン放送局で厳重に管理され、再放送はもちろんコピーテープも作られなかったということだ。

 このEMIの録音についていくつかヒントを与えたい。1999年に歴史的録音を発掘してCDを発売しているテスタメントからオットー・クレンペラーの第9のライブ録音が発売された。1957年11月15日の公演の録音。放送局が録音したのならよくあるケースだが、録音はEMIがした。当然、録音のクオリティは高い。クレンペラーの第9はこの演奏会に前後して、まったく同じメンバーでセッション録音された。レコードとして発売されたのはもちろんセッション録音の方。ライブの方は99年にテスタメントが発売するまで録音の存在さえ知られていなかった。似たケースがほかにもある。53年8月ザルツブルグでシュワルツコップフのヴォルフリサイタルがおこなわれた。ピアノはフルトヴェングラー。シュワルツコップの細君でEMIで力を持っていたウオルター・レッグが私的に聴くために、このコンサートの録音を指示した。結果的には選曲してEMIからレコード化されたが、珍しいケースだと思う。いままであえて名前を出さなかったが、バイロイトのフルトヴェングラーの録音やクレンペラーの第9の録音はレッグの指示だと思う。

 EMIはフルトヴェングラーのベートーベンの交響曲をウイーンフィルで順次録音していた。1954年フルトヴェングラーが亡くなって、2番、8番、9番は録音されなかった。9番がセッション録音がされていたら、51年のバイロイトの録音はクレンペラーのケースのようにお蔵入りになっていたと思う。

 えらい長くなってしまったが、EMI盤とB盤の比較だが、B盤の方が演奏がいいと思う。全体が有機的に連続しており、EMI盤のような編集の痕もなく自然。それに録音は明らかにB盤に軍配が上がる。EMI盤のLPの海外、国内の初期盤、後の盤(70年代)とも比較したがB盤の方が音質がいい。同じ収録なのになんで差があるのか謎である。バイエルン放送局の別録音の根拠になるが、どうしてもそれは信じられない。

 1点だけ問題がある。第4楽章はじめ有名な歓喜の主題がチェロで静かに始まるところ、有名な箇所だがEMI盤はほとんど聞き取れないほどのピアニッシモで開始されるが、B盤はラジオ放送のためそのままでは聞こえないので、音量を上げている。金子氏が指摘している通りでここでノイズレベルが上がる。再発売の際にはここはもとのダイナミックスに修正してほしい。感興をそぐ。
 
日本フルトヴェングラーセンター製作のLP盤について(2010年12月2日、ブログの記事を転載)

 レコード番号:WFHC−014A/D 日本フルトヴェングラーセンター製作。プレスはドイツらしい。一般市販品ではなく会員頒布。
全曲4面にカットされている。丁寧に作られた盤だ。重量盤。
 
 冒頭、出だしのバイオリンの音に違和感を覚えた。高音が少し持ち上がったきつい音だ。第2楽章の冒頭のバイオリンのトッティも同様。第3楽章はバイオリンがよく歌うところが多いがこれも同じ印象。結局、最後までこの違和感は消えず、楽しめなかった。
 トランペットは耳に突き刺さるような音で、終楽章の四重唱はソプラノがキンキンした。
 同じマスターを使用してCD化されたオルフェオ盤と聞き比べてみた。オルフェオ盤のほうがはるかに聞きやすく、違和感なくEMI盤との音の雰囲気の差は少ない。一帯どうゆうことなのだろうか考えた見た。

 アナログ音源の録音をLP化する場合、最近はデジタル化したマスターを使っている場合が多い。編集がしやすいこととノイズなどの処理をしやすいからだと思う。このLPはその点どうなのかと思いながら、添付されていた解説を読んでいたら38cm/sのフルトラックテープでコピーしたものを使用したと書かれていた。日本センターが最初に頒布したCDのマスターはDATにコピーしたと書かれていたので、LPはデジタル処理は避けたようだ。

 フルトヴェングラーおたくはオリジナルにこだわって、もとのマスターテープの音をイコライジングなどでマスターの音をいじられることを嫌う。
 このLPの音はマスターテープの音をそのままLP化したのではないかと思う。オルフェオのCDは、聴きやすいように音質を改善したのではないだろうか。それでセンター製のCDの音はどうなのだろうかとおもった。

 それと終楽章に古いテープ特有のレベル変動がかなりあった。60年近く経っているので劣化していて当然だが、聴いていて気になる。CDもレベル変動はあるがそんなに気にならない。デジタル処理で修復したのかもしれない。
 CDでは気が付かなかった点がもう一つある。第4楽章の歓喜のテーマの出だしのところが頭の音が切れている。テープを繋いだあとだとはっきり判る。オルフェオのCDでは気が付かなかった。それでこの部分CDを聴いてみた。LPははっきり判るが、CDははっきりしない。まえに書いたがここでノイズレベルが上るのでボリウムを操作した、と書いたところだ。なんとも微妙。もう少し聞き比べをしてみたい。
 CDとの音質差はLPのほうが一皮むけたような明解な音がしている。LPのほうが高音が持ち上がっていることが理由かもしれない。

 ついでにEMI盤のLPとも比較してみた。使ったLPは東芝AB9116E(手持ちのLPではこれがベストだと思っている)。やはり耳になじんでいるせいか総合的な点でEMI盤のほうが音質が安定していていい。まったく違和感なく聞ける。
 
 このフルトヴェングラーセンター製のLPは、値段が高いことについては、特殊なもので本来商業的に販売された物でなく、希少で骨董的な価値も高いため仕方が無い。結局内容としては期待はずれだった。
 この録音、改めて聴いて判ったが、EMI盤には残念ながら及ばないと思う。終楽章の音質劣化は致命的だ。