メコンの旅 12 最終回
タイ 帰国 補遺
最終回になった。
ビエンチャン、ノンカイは体調が悪くなって写真はポケットカメラでぞんざいな撮りかたをしていたため、ろくなのがない。それで、「メコンの旅 1」で先を急ぐために省略したタイ チェンコンとラオス フェイサイの写真を一部加えた。
あと、地図と総括みたいなのを最後に書いた。
上2枚、ノンカイのバスステーションにて。朝、バンコク行きのバスの乗り場を人に聞いていたら、突然音楽が流れ、「周りを見てみろ」というジェスチャーをした。皆、直立不動になっていた。8時ちょうどだった、国歌みたいだった。右の写真は、うまく撮れてないが、警察官と市民。警官が一般市民と一緒に雑談して、飲み食いをしている光景は日本ではもちろん見られないが、とてもいい雰囲気だ。
上2枚、ノンカイの市場。ラオスより大分経済的な豊かさを感じられるし、清潔。
上2枚、タイ、チェンコン(4月26日)の市場にて。左はカエルではないかと思う。右はみかん。
上2枚、これもチェンコンでのスナップ。カメラに向かって、笑顔を見せてくれている、ラオスではこうしたことは全然なかった。こんどは、ゆっくりタイを訪ねたいと思う。
上左、ノンカイのゲストハウス。シャワー、トイレ別で120B(344円)。1泊した翌日は夜7時のバスなので、6時まで部屋をつかわしてほしいと言ったが、部屋は12時までかまわないがそれ以降はこのロビーを使ってくれてもよいということで、夕方までここで休んでいた。外はちょうど今年の猛暑の時のような暑さで、外出できないし、とにかくしんどくて休みたかった。このロビーは広くて、冷房はないが窓を開け放しで、結構涼しかった。そとの自動車の騒音はうるさかったが。
右はチェンコンにあったインターネットカフェ。ここでやってみたがうまく行かなかった。ワンヴィエンで再挑戦した。フロッピーで出来るメールソフト「ポケットメーラー」というメールソフトに送り先のアドレスを登録できるのでとても便利。しかし、当然だが日本語表示しない。それで山勘でメニューを選択し、ローマ字で3人にメールを送ってみたら届いたようだった。(400k/分*20分=8,000k、約114円)。出したメールは僕のアドレスにも来ていた。インターネットカフェは滞在したところにはだいたいあった。 日本人旅行者に教えてもらったが「HOT MAIL」という無料でアドレスを取得できるのがある。(IEの「お気に入り」から登録画面がすぐ出てくる)これを使うと世界中何処からでも出来ると言うことだ。
上三枚、タイ モーチット・マイ(北バスステーション)。上僧衣を着た坊さんとバスステーション警備職員。
モーチットマイについたときタクシーの運ちゃんがチェンコン行き夜行バスのキップ売り場の窓口を探してくれた。窓口が100以上はあると思うが、探すのは大変だったと思う。バス乗り場を探すとき、上の写真に写っている制服を着た職員(警備もかねているようだ)が探してくれた。帰るときも、朝の5時に着き、時間が十分あったので、空港までバスで行こうと思い、インフォーメションで空港までのバスの乗り場を聞いたが要領を得ず、思案に暮れていたら職員が声をかけてくれ乗り場を探してくれた。チェンコンいきのバス乗り場も、空港行きのバス乗り場も、職員でさえ簡単に見つけられず、あっちこっち聞きまくってようやく乗り場をみつけるという状況で、なかなか面倒だったが、そのプロセスはいい思い出になった。タクシーは正直のところ、好きでないし普段の生活でも使わない。空港までバスでは10Bだった。
タイ入りした当日、空港からこのバスステーションに行くのに空港ロビーでうろうろしていたら、カウンターの中から制服を着た女性から声をかけられた。モーチット・マイまで行きたいとこちらの希望を片言の英語で伝えたらタクシーのメモをくれたが、600B(バーツ)と書いてある。高いと言ったら、高くないという。あんまりひつこいのでおかしいとおもい、逃げるようにしてその場を離れ、ロビーの外に出たら、タクシー乗り場と受付があり、そこできいたら、250Bだった。タクシーの乗り方や料金、はガイドブックの通りだった。空港ロビーは正規の職員が不正なことをしているので注意しなくてはいけない等、これもガイドグックに書いてあった。話のついでに、帰り、ノンカイのバスステーションでのこと。バスの時間、料金を案内所らしきところで聞いたら時間と248Bのメモを書いてくれた。そのメモを手帳に転記しょうと思いキップ売り場のカウンターでメモしていたら中から男が声を掛けて来たので、同じことを聞いたら「300B」と書いたメモ書きのキップを渡され300Bを要求され、お金を渡してしまった。「チケット!、チケット!」と言ってキップを要求したら、もらったメモがキップだという。それで、これはおかしいと思い、必死で「キャンセル!、キャンセル!」と叫び、金を取り戻した。結局、バンコクへ行くバスのチケットは別の場所にVIPバスのオフィスがあり、ちゃんとしたチケットももらった。もう油断もすきもない。タイは要注意。
タイ ノンカイにて。メコンの夕景。対岸はラオス。写真には写ってないが、左奥にタイーラオス国境の橋がある。メコン川は、フェイサイ〜ルアン・パバーン、ビエンチャン、ノンカイと見ることが出来たがいつかもっと下流を見てみたい。
上の写真は、フェイサイ。イミグレーションから道路に出たとこ。ボート乗り場まで行く旅行者を捕まえて乗せるトクトク。料金はメモをしていないので忘れたが20Bぐらいだったと思う。
上二枚、フェイサイ スピードボート乗り場の売店にて。 手に持っているのはビール(ビア・ラオ、5,000k)。右は売店で売っていたもの。 船旅用のパン、おやつなどを売っていた。
地図とルート
地図はガイドブック(旅行人ノート 3 メコンの旅 旅行人発行)のイラストを借用した。結局これが一番わかりやすい。左中ほどに国境の町、チェンコン、フェイサイの文字が見えると思う。太い線はメコン川。川沿いに下のほうにいくと途中休憩したバクベン、そしてルアンパパ-ンの町。ここから上へムアンサイ(ウドムサイ)、ルアン・ナムター、国境近くにムアンシンの文字が見えると思う。ルアンパバーンに戻って、下のほうに、ワン・ヴィエンそして一番下にビエンチャンと国境のメコン川を挟んでノンカイでタイに入る。バンコクーチェンコン、ノンカイーバンコクは世界地図を見てください。
旅程。
4月25日(火)
家 −> 関空 −> バンコク −>バンコク北バスステーション(モーチット・マイ)ー>夜行バス(13H) ー>4月26日(水)
チェンコン(朝到着) チェンコン泊4月27日(木)
チェンコン −> (ラオス入国) フェイサイ−>(スピードボートでメコン川を下る、6H)ー>ルアン・ パバーン(泊)4月28(金)、29日(土)
ルアン バパン 滞在 泊4月30日(日)
ルアン バパン (乗合トラックバス5H)−> ウドムサイ −> (マイクロバス5H)ルアンナムター ( 泊)5月1日(月)
ルアンナムター −>(マイクロバス、2.5H)−> ムアンシン (泊)5月2日(火)
ムアンシン 滞在
中国国境のヤオ族、アカ族の村徒歩で往復(5H)5月3日(水)
ムアンシン −>(乗合トラックバス、マイクロバス3H) ー>ルアンナムタ −>(マイクロバス、5H)−> ウドムサイ(泊)5月4日(木)
ウドムサイ −>(マイクロバス、6.5H)−> ルアンバパン(泊)5月5日(金)
ルアンバパン 滞在5月6日(土)
ルアンバパン −>(大型バス、6H)ワンヴィエン (泊)5月7日(日)
ワンヴィエン −>(大型バス、3H)ビエンチャン (泊)5月8日(月)
ビエンチャン −> (乗合バス)タドウア −>(ラオス出国タイ入り)ノンカイ (泊)5月9日(火)
ノンカイ(疲れて1日G.H.にいた。) ー>夜20:00の夜行バスでバンコク(9H)へ5月10日(水)
朝5時バンコク モーチト・マイ(北バスステーション)着 −>(バス)バンコク国際空港 −> 関空 ー> 家
現地で買った織物、彫り物
上3枚、いづれもムアンシンで買ったもの。左、中 絹180*38cm、各15,000k(約212円)
右、朝市で少数民族の女性が被っていたもの 綿105*37cm、33,000k(約471円)
上左二種類、 綿180*35cm 20,000k(約285円)これは、マイナーな製品で、草木染めっぽいのを選って買った。化学染料かもしれないが、こうした渋い色調の物は少ない。白人ツーリストは派手な色調のものを好むようだ。上右二種類、記憶がはっきりしないがラオスの織物の代表的なものをと思ってビエンチャンで買ったと思う。左、絹70*140cm(65,000k、928円)、右、スカート地、100*170cm(160.000k、2,284円)これは機械おりではないかと思うが、値段は手織りの値段だが。織物は、ルアンパバーン(パン・パノム村)、ムアンシン、ビエンチャンで買ったが。当然ビエンチャンは高い。ムアンシンは、少数民族の女性が売り歩いている商品が一番安かった。ただ、仕上げに雑なものが多いので、丁寧に仕上げられたのを良く見て買った。売り手もそれを認めてもらうのは嬉しい様子だった。写真でも紹介したが民家で機を織っているところで買った物は、倍ほどの値段がした。初めてだったので、相場がわからなかった。ガイドブックによると、民家で織っている現場で買うと高いと書かれていた。
上左、ルアン・パバーン パン・パノムのみやげ物屋で購入、ショール205*72cm絹、90,000k(約1,285円)。
右、彫り物三体、中央の黒いのはルアン・パバーンの土産物屋で購入、黒檀製25cm、10ドル。
両サイドの白木のはパン・パノムで購入、左の立像は白檀製?29cm,36ドル、右の坐像は15cm,85,000k(約1,214円)材質不明。左の立像はいくつかあった白木の立像の中で際立って姿形が良く何より品があった。ルアン・パバーンのプーシーの丘の洞窟寺院の中で見た立像はこの姿だった。この像だけ値段が極端に高いので、その点を尋ねたら、匂いを嗅ぐしぐさをするので嗅いでみたらとてもいい香りがした。多分白檀だと思う。
旅行費用 総額 213、781円
国内での費用 合計 126,800円
航空運賃 65,100円 消費税込み(以下同)
旅行保険 7,070円
自宅ー関空MKシャトル(往復) 7,060円
空港利用税 2,650円
フイルム代 14,000円 ネガ、ポジ36EX各10本
同現像代 31,000円
国外での費用 合計 86,981円
米ドル、1ドル=107円、タイバーツ 1B=2.87円、
ラオスキープ、1K=0.01428円、 1円=70K として計算。
準備して行ったお金
T/C(トラベラーズチェック) 85,082円 (800ドル)
ドル現金 32,130円 (300ドル)
円現金 50,000円 MKシャトル、空港利用税等ここから払う
帰ってきてから残額を調べて差し引き使ったお金
T/C 20,206円 (190ドル) 1$=¥106で計算
ドル現金 26,775円 (250ドル) 1$=¥107で計算
円現金 40,000円
内訳
移動費(交通費) 8,248円
宿泊代 5,014円
食費 6,209円
雑費総額 56,422円
雑費内訳(主なもの) *フイルム 9,571円
ラオスビザ 5,250円
買い物品等送料 5,928円
テレホンカード 2,936円
買い物代 28,679円 織物と彫り物
* フイルムは用意していた20本が足らなくなり、ルアン・パバーンでネガ、ポジ各10本買った。
あとがき
ラオスの人たちは非常にシャイという印象を受けた。旅行者慣れしていて写真も取りずらかった。中国国境に近いムアンシンは旅行者は国境を越えられないのでいわば行き止まりの場所だが旅行者は多かった。郊外の少数民族の村も旅行者慣れしている感じ。旅行しやすいとは言える。また治安もよく不安を感じるようなこともなかった。トクトクなどの乗り物もぼられたという印象も少なかった。物価は安い。
技術的なこと
荷物は40Lのバックパック(リュックサックは英語では別の意味らしい、この言葉のほうがぴったしくる。)のみ。街歩き用に、コンパクトなデイパックを持って行ったが、頻繁に出し入れするのにとてもぐワイ悪い。それで現地の人が使っている肩からかける布製の袋を買って使ってみたらとても便利なので、これで通した。この布製の「肩掛けかばん」は帰ってからも愛用している。衣類などは行くところの気候と関係するが、今回はほとんどTシャツと半ズボン(現地で購入)で過ごせた。ムアンシンでは朝市のときは少し肌寒かったので長袖、長ズボンだったが...。履物はノンカイでサンダル(ベルトの付いているやつ)を買い、帰国時以外ずっとこのサンダルで通した。ルアンナムターで余分なズボンやシャツとデイパックを送り返した。衣類は、乾きにくい綿は避けて、パンツ(トランクス)以外化繊のものを用意した。肌着は綿がベストなのはわかっているが、洗濯して乾きの早い山用の化繊のをつかった。Tシャツを肌着にしたので結局ほとんどこれだけでいけた。どっちにしても、現地で買える(綿だが)。その他、蚊取り線香、懐中電灯など。宿には蚊帳があった、蚊はあまりいなかったが使った。電気の事情が悪いので懐電は必要。今はリチウム電池(CR123)を使ったコンパクトなのがある。
カメラは、キャノン イオスKissV+ズーム28−85と予備にキョーセラ プルーフ(生活防水)を持って行った。イオスは、愛用しているコンタックスは旅行に持って行くのには重いので、写真家の友人に相談したら薦められた。ボデイもレンズも信じられないほで軽く、オートフォーカスの精度も高く全くストレスを感じさせない。プラスチックの塊で敬遠していたが、食わず嫌いだった。ムアンシンの朝市の写真(メコンの旅 7,8)はこれでほとんどファインダーを覗かないで写した(隠し撮り)。ついでに言っておくと、京セラ・プルーフは生活防水カメラ。メコンを下るとき体が濡れると書いてあったので直前に探して買った。手ごろな値段で軽く(200g)、コンパクト。レンズはツアイス(コンタックス)設計で、仕上がりはイオスと変わらない。
全部の荷物は40Lのバックパックに少し余裕があるくらいっだったが、旅行中、荷物が増えてきて50Lくらいがいいかなと思った。たくさん見たバックパッカー(懐かしい言葉!)のなかでは自分の荷物はとてもコンパクトだったと思う。白人のバックパッカーは、いったい何が入っているのかと思うほどでかい荷物を担いで、胸にはデイパックまで抱えていた。