メコンの旅 6 ムアンシン 2
2000/5/1〜5/3
ムアンシン郊外とウドムシンへのトレッキング
ムアンシンのメインストリートから少し外れると、このような民家が点在する。建物の様式はよくわからないが高床切妻型(左)と、右側のタイプと両方見られた。
民家の庭先で女の子が二人機を織っていた。撮影の許可を求めたら逃げて行ってしまった。左の写真は織っていた機。左下の写真はその庭先でお母さんらしき人が縦糸の処理をしていた。後ろで屋根を葺く草葺きの材料を編んでいた。
下は、草葺材料の出来あがったものだと思う。
下2枚、民芸品を売る少数民族の人たち。興味を示すと周りからいっぱい寄ってくる。ムアンシンのメインストリートにて。
下4枚、民家の子供たち。右下の少女たちはカメラを向けても愛想が良かったが、写真とっていると民家の中へ「おいで、おいで」と手招きをした。入らなかったが、民芸品を売りつけるか、麻薬を吸わせるのではないかと思う。機を織っていた女の子は、逃げて行ってしまったのに、同じ場所でどうしてこんなにカメラに対する反応が違うのか判らない。
5月2日、中国国境近くにあるウドムシン(少数民族ヤオ族、アカ族の村)と言う村にいく。村まで7kmの距離を往復5時間かけて歩いた。ウドムシンから中国国境まで2kmで目と鼻の先だ。レンタルサイクルがあったらしいが、旅行者が山の奥地までは入り、麻薬を吸ったり、山賊に襲われて殺されたりといった、事件が起こり、レンタルサイクルは「ポリスストップ」がかかったといっていた。後から考えたが、村は人気は少なく、山賊に襲われても何の不思議もないところだった。
上左、ムアンシンから歩き出すとすぐに水田風景が広がる。雨季前なので稲は植わってなかったが、水が入れば美しい風景になるのだが.右は放牧牛。
上左、水牛。いたるところに居た。右の写真は、昼弁当を準備するのを忘れて腹が減ってきたころ、スイカを積んだトラックが、目の前でスイカを落として行った。ラクビーボールのような形のスイカで、実にうまかった。この日(5月2日)は僕の誕生日だった。後にも先にも、スイカは落ちていなかった、最高のプレゼントだった。同行者に撮影してもらう。
ウドムシン ヤオ族の村にて、
下左は村へ案内してくれた少女達、写真は拒絶されたので正面から撮れなかった。その右の写真は、先の写真にも写っていた同行者で、タイからの夜行バスでいっしょになり、目的地は違ったのだが、ムアンシンへ行きたいという彼の希望でいっしょに行動することになった。
ヤオ族の民族衣装を着たおばちゃん達。撮影の許可を求めたら、キップを要求され、5,000k払って撮影した。少数民族の人たちは、写真をよく撮られるので、かなり神経質になっているみたいだ。うっかり無断で撮影するとキップ(金)を要求されトラブルになる。炎天下2時間あまりかけてここまできたし、隠し撮りしてトラブルのもいやなので、お金を払って撮影した。
この写真を見ていると、お金をもらっで得したと言う顔ではないなあ、もちろん金を払った僕も後味悪く面白くなかったが。いい経験になった。
下2枚、ウドムシン ヤオ族の民家。高床式は無かったように思う。
アカ族の村にて
ヤオ族の村から1,2分くらいの所にアカ族の村があった。アカ族はムアンシンでたくさん見かけたので目的はヤオ族の村を訪ねることにあったが、隣接していた。山間地の村を見られたのはここだけだった。子供を見かけたくらいで人気は無く、民家の中からおっちゃんが声をかけるので何かと思えば、麻薬(阿片?)を吸うしぐさをして手招きをしていた。下左上、遠くに写っているいる村は、先のヤオ族の村。アカ族の民家はほとんど高床式の作りだ。
小さい小屋は穀物倉庫か何かだろうヤオ族の村にもこのタイプの小屋があった。山の向こうはすぐ中国側だと思う。