メコンの旅 5
ルアン・パバーン〜ルアン・ナムター(泊)〜ムアンシン
2000/4/30〜5/1
訂正;「4」までのを点検していたら「ルアン バパン」と「ルアン パバン」と二つの表記を使っていた。「ルアン バパン」は誤り。前にも書いたとおり、ガイドブックのカナ表記は「ルアン パバン」になっている。英語表記は「Luang Prabang」で、一般的な地図や資料のカナ表記は「ルアン プラバン」になっている。現地の政府施設や高級ホテルはフランス語で表記されている。「Prabang」の「r」は発音しないのかもしれない。現地では、「ルアン パバン」で通じたし、現地の人の発音も「パバン」と聞こえた。因みに「ルアン」とは、タイ語では「聖なる」という意味だそうだ。ラオス語でも同じではないかと思う。
ルアン・パバーンからウドムサイ(ムアンサイ)のトラックバス。上左はしょんべんタイム。乗客が何やら大声を出したらトラックが止まり、皆外へ出て用を足した。驚いたのは、女性もスカートを広げてしゃがんで用を足していた。右はその内部。ルアン・パバーン〜ウドムサイ、22,000k、5時間。
上左、ウドムサイ〜ルアン・ナムター間の休憩地点。ウドムサイ〜ルアン・ナムター、(マイクロバス、15,000k、5時間)露店でスイカ、うり類をうっていた。上右はルアン・ナムターの朝、食堂で、地元の人たち。
上、ルアン・ナムターの市場にて、ここは割と清潔な印象を受けた。上右は少数民族(多分アカ族)の家族。次の目的地、ムアンシンではアカ族をたくさん見かけた。
上2枚、ルアン・ナムターの少年たち。撮影の了解を得て撮る。女の子は、カメラにひどく敏感で、通学集団の列にカメラを向けたら、クモの子を散らすように逃げてしまった。
上左、ルアン・ナムターの民家。家は密集しておらず散在していた。ルアン・ナムターは、旧市街と新市街とに別れており7km離れている。バスステーションは新市街にある。旧市街には行けなかった。
上右、バスステーションで見かけた少数民族(ランテン族ではないかと思う)、カメラを構えたらポーズをとってくれたような気がした。後ろに写っているピックアップバスはフェイサイ(タイ国境)へいくバス、前日ルアンパバーンからいっしょだったスエーデン人が乗っていた。ビザが切れるのでタイへ出国しなければならないといっていた。フェイサイまで10時間。
上左、ルアン・ナムター〜ムアンシン間、バスの横に座っていた少数民族のおばちゃん。コインをせがまれた、物乞いかとおもったが、頭の飾りに使うのに集めているみたいだった。頭にかぶっている飾りに、各国のコインがちりばめられていた。途中の村で下車したとき撮影する。上右、ムアンシンに行く途中の検問。全員下車。座席の廻りや、荷物をピックアップして中身を調べていた。屋根の上の荷物も。ツーリストの荷物は触らなかった。ルアン・ナムター〜ムアンシン、2.5時間、8,000k。
ムアンシン 1
5月1日目的地のムアンシンに着いた。ここで二泊した。ここは、ガイドブックによく紹介されていたので日程を無理してきてみたが、日本人の旅行者が大勢居てげんなり!、しかし、ゲストハウスやレストランで彼らと話する機会があったが、いわゆる、放浪人、ヒッピーといった70、80年代のイメージはなくごく普通の人たちだった。年代は30代前後といったとこだろうか。50代のバックパッカーのほうがよっぽど変な人種かもしれない。
上左、バスターミナル、後ろは市場。上右、Muang Sing G.H. 13,000K(約200円)。ここも電気は自家発電で6時〜9:半までだった。
上2枚、バスターミナルの食堂にて。後ろに値段が書いてあるが、コーヒー2,000k、Noodle Soup 3,000k, 右側のが、Noodle Soup 見かけは日本のラーメンだが味は全く違う、麺はうどんに近い、タイもほぼ同じで、味付けはされておらず、上に見えているしょうゆ、ナンプラ-などで自分で味付けする。それに、生野菜(ハーブ)がつく。ラオスのコーヒーは、煮詰めたような濃いコーヒーで、普通にコーヒーと言って注文すると練乳がたっぷり入った甘いコーヒーが出てくる。この店のは、ネスカフェ(インスタント)だった。
ムアンシンは、この後2回ほどに分けて紹介します。